青の八弦琴
語り残さん。
これらすべてが夢で終わらぬために。


 夢は夢を紡ぎ、現実は夢を紡ぐ。
 連環の中で迷う人々の物語をいざ、紡ぎ上げるとしよう。
 何時のときか、どこか分からぬ小さな村。
 森のほとりで自然の恵みに頼る小さな村から物語は紡がれる。


緑の野槌
耳元にささやく者あり。これもまた夢なりや?


 シャラン。揺れる、腕飾り。鈴の音が辺りを震わせる。
 タ、タタタ…タン。太鼓の音。踏み鳴らされる足。
 薄布が、空気を分け、そこにここだけの秩序を生み出していく。それは、一時の夢。
 小さな舞台に立つ踊り子が一人。そこに紡がれるのは悲恋の物語。くっきりと人々の目に映るのは、はかない恋に震える娘と、彼女を振り捨てて出ていく男性の姿。薄布がひるがえり、幻の男の姿は消え失せる。そして残されたのは、恋に身を焦がすあまり魔族に憑かれた修羅の姿。娘は、男をこの手に取り戻すために魔族と契りを結び、男と共に炎に包まれる。永遠の契りは永遠の別れ。薄布が、彼女を包み込み、倒れ伏す。
 溜め息を洩らす人々の中、踊り子は再び踊り始める。ゆったりとした動き、そう、ここにあるものすべてが夢。太鼓の音はもはや絶え、微かな鈴の音だけが、その場を支配する。遊離する魂。そのとき人々は初めてその踊り子の左瞳が虹色に輝いていることに気が付いた。通火の刻印は人々をそれぞれの夢へと導く。もはや彼女の姿は、一つのものではなく、その瞳のようにあらゆる存在を包合するものへと変わっていた。

白の黒剣
血が一滴、滴った。
無明の闇の中から、今、何かが誕生し、世界に波紋をもたらしていく。


 その男は、時の彼方から戻った男であった。
 自らの夢を失い、森に分け入り、過去を捨てた男。
 他人の夢を奪い、それゆえに己の夢を見失った男。
 人々に彼は「森の人」
と呼ばれていた。
 彼は、彼女の瞳に運命の歯車を感じた。自分の見失った運命を再びもたらす存在と出会った、そう感じたのだ。彼の腕ははかなく伸びる。彼女に向かって。
「困りますよ。お兄さん」
 唐突に夢は覚め、道化が彼の目の前を遮っていた。
「他のお客の迷惑だよ」
「頼む、彼女と話をさせてくれ。私は彼女と話をしなければならないんだ」
「そうやって彼女に言い寄ろうとする男は数知れないんだよ。おおい、だれかこいつを連れてってくれないか? 同じ村の奴、だれかいないのか?」
 人混みがざわめいた。『彼』に触れられる人間がいるのか? そんな調子だ。
 うっそりと歩み寄ったのは筋骨逞しい青年。
「あんたが『森の人』だってのは重々承知してるよ。でも、幾ら長く生きてるからってやっていいことと悪いことがあるんじゃないのか? おっさん」
「おまえ、名前は?」
「ガイルダ。テペスの息子だ。『森の人』イルネスさんよ」
「あのイルスの息子の息子か? 私もずいぶん長く森にいたのだな」
「親父は一昨年流行り病で逝っちまった。親父が助けてもらったことがあるって、あんたの事を夢でもみるように話してたよ。すぐに判ったさ。そんな古臭いかっこうしておれと変わらない歳の人なんて他に居やしないからな」
 ガイルダがイルネスの肩をしっかりと掴む。道化が軽く膝を折ると器を持って人々の間に分けいっていく。次々と銀貨が投げ込まれる。彼女の踊りはそれほどまでに人々に感銘を与えたようである。

黒の指輪
我が名前を遠くより呼ぶものは誰ぞ?


 アーニアはいつものように踊りながら、目覚めたままの夢の世界に没入していく。目の前に光る道が現れるのだが、いつもその道は渡ろうとすると消えてしまう。自分が何者であったのか、あの道のむこうにある気がする…彼女はそう感じていた。今日はいつも以上にはっきりと、その道が彼女の瞳に映っていた。霞む道の向こうに、なにかが映る。それは…夢が、唐突に覚めた。二人の青年の姿が、はっきりと視界に映る。私は、呼ばれてきたのだ。ここに。瞬間、夢の中の道が現実の世界に重なった。

白の通火
我は灯りを掲げ、後続を導く。
闇の中にも、常に道は存在するのだ。


 隊商に混じって、彼はこの村にやってきた。何人かの村人が、彼のもとを運命を求めて訪れた。彼はその日、昨晩の夢に見た光の矢を求めて村人の間に分けいっていた。
 アーニアの踊りは、その彼の息をものませるほど、美しく、かつ妖しかった。夢占い師としての修行を受けた彼には、彼女の体から流れ出す魔法の力が感じられる。夢の波紋が広がり、彼の体を浸していく。幻視の訪れは唐突だった。夢占い師としての存在意義。夢の向こうの現実を見つめ、人々を導くこと。通火の灯りが行く末を照らす。
 幻視が消えた時、彼はア−ニアの前に立っていた。
「あなた、誰?」
「私はヴィーン。ただの夢占です。あなたに導きを授けるためまかりこしました。さあ、私と共に。夢の向こうにあなたが見た現実へと、私はあなたを導きましょう」
 二人の姿を見た人は、まるで幻が目の前を歩いているように感じたという。それほどに彼等の存在感は薄れていた。
「私の求めていたものが見つかると言うのですか? 夢占よ?」
「それはあなたが決めることです。夢見る人よ。私は導かれるべき人に導きを授けるが役目。夢も、現実も、全ては個にして一つのものなれば。深淵の波間に還るそのときまで、夢の導きを伝え続けるが我が役目」
「私は夢の合間に漂う小船。瞳の刻印の導くままに、現実をこの手にいたしましょう」
 ア−ニアが右手を振り上げると、人垣がまるで海が割れるかのように二つに分かれた。その向こうには、ガイルダとイルネスがいる。四人の瞳が絡み合う。
「今こそ、運命の歯車は回る」
 朗々と、ヴィーンが告げた。

赤の通火
ここまでは我が導きで来た。
後は汝自身が選ぶ道なり。


 アーニアとヴィーンには、通火の光が見えていた。北に向かう、真っ直ぐな道。森を抜けて、捨てられた村へと向かう道。森の結界を安全に抜けるには『森の人』と呼ばれるイルネスの知識がどうしても必要だし、危険な獣に立ち向かうには元傭兵であるガイルダの力が必要だった。彼等は、互いに互いを必要としていたのだ。
 アーニアは強引に仲間の元を離れ、旅に向かうことにした。自分の記憶の中の空白。別れた兄がいることは判っている。彼女は、それ以上のことをどうしても思い出せなかった。思い出そうとすると、自己の存在自身を確認できなくなるのだ。強烈な自己否定。己が忌まわしい存在であると言う認識。自分と言う迷路の中のなぞを解くための旅が、彼女に課せられた運命。
 森の切れ目、崖の上に立ったガイルダは、既視感に襲われた。その場所が、傭兵稼業から足を洗うきっかけになった事件を思い出させたのだ。小雨の中、崖下を馬に乗った隊長に率いられ、彼は歩いていた。崖下から回り込んで敵の部隊を急襲する、そう聞かされている。危険な作戦だが、やりとげなくては他の部隊が危機に晒されることになるだろう。
 それが戦争なんだ、と部隊の皆が強引に自分を納得させてこの作戦に参加していた。崖の一番危険な部分に差し掛かったところで、隊長が馬に鞭をくれ、距離を取ると突然笑い出した。狂ったように。
 危険を感じた皆が、逃げ出そうとした瞬間、頭上から岩が降り注いだ。仲間たちが、非煙を上げて倒れていく。血煙と、土煙が消えた後に残されていたのは、ガイルダ一人。彼はそのまま出奔した。信じて貰えないだろうから。自分の命を守るため。村に帰る途中、夢占い師に呼び止められた。
「今は休息の時だ。さだめし出会いのときまで、ゆっくりと休むが良い」
 その時には聞き流していた一言だったが、今ははっきりと判る。この旅の向こうで、自分は何者かと出会うのだ。運命に導かれて。
 四人の目の前、小道に錆びかけた熊挾みが転がっている。狼が一匹、瀕死の状態でうなりごえをあげている。たぶん向かっている廃村の狩人のものだろう。イルネスは、罠を外すと狼の足を手当てした。まるで、狼が人間の子供ででもあるかのように。そう、彼は昔、森の動物を捕らえて生活の糧としていた。様々な罠が、彼の生活を支えていたのだ。
 ある日、彼の幼馴染みの息子…まだ3つの…が行方不明になった。必死で皆、子供を探した。明るく村を飛び回る男の子は、村中から好かれていたのだ。翌朝に森に分け入り、茂みの中の罠を見たイルネスは、息を飲んだ。そこには、熊挾みに挾まれて冷たくなった少年の姿。芸術的に隠された彼の罠を、少年は見分けられなかったのだ。慟哭する友人の姿。慟哭は、いつの間にか憎しみに変わった。そして憎しみの余りイルネスの一番大事なもの…妻とその胎内の子供…の命を奪うと、己の心臓を山刀で切り裂いたのだ。その日以来、イルネスは狩人であることを止め、森の奥深く、時の澱みの中で生きる『森の人』となった。ただ、己を救済してくれる何者かの到来を待つだけの存在、それが彼の本質。長い時代を生き、やっと見つけた、闇の中の一筋の光。それがアーニア。通火の力を持つ娘。

紫の通火
我らは、女神の子。
大地に平和をもたらしたる者なり。


 朽ち果てた廃村は、人の気配が絶えて久しく、崩れた家もみうけられた。ヴィーンの耳には、戦に巻き込まれ、無残に殺された人々の怨嗟の声が届く。
「終わらせてやらねばなるまい」
 ヴィーンが、村の中央の広場に向かって、両手を差し上げ、よく通る澄んだ声で異界の言葉、魔法の呪文を紡ぎ出す。
 アーニアの胸が痛む。気が付いたときにはついていた、胸の傷。彼女の胸には、なにかに貫かれたかのような大きな傷があった。傷に、痛みが走る。彼女には、自分のうちなる衝動に従うしかなかった。踊ること、そう、舞えば、いつも全てを忘れることができた。いつもと違い、伴奏は異界のリズム。でも、踊れる。痛む胸を押さえると、荷物をそっと置き、変質した空間へと足を踏み出した。
 高く、低く、流れるのは、世界の垣根を払う歌。迷えるものを導く歌。ガイルダとイルネスには、この世界の人間の大抵がそうなように、魔法は特別なものだけが知る禁じられた知識として映っている。しかし、彼等が初めて見る魔法の姿は、空間をきらめかせる音律の流れと、渦巻く空気の中を青白い軌跡を描く手足が作り出すこの世ならざる美の世界だった。アーニアの手足が、秩序の失われた世界を再構成していく。

青の黒剣
生み出された何かが黄道をのぼり、
天空の極みに到達する。


 アーニアは、その瞬間完全な母性として存在していた。迷いし魂は、彼女という母を得て、浄化され、全き存在となって深みへと還るのだ。天空に開かれた異界への門へ向かって、数多の魂が、そのエネルギーが彼女の身体を通して駆け昇っていく。過大な負荷が、彼女の肉体を、精神を軋ませる。生みの喜びと苦しみ。彼女の瞳からは涙が溢れ、頬を伝い、地面へと吸い込まれていく。駆け昇るエネルギーは、背骨を伝い、脳髄を軋ませる。封じられていた記憶のかけらが、解放たれる。幼い頃の思い出。別れた兄の思い出。そう、兄は連れ去られたのだ。幸せを運ぶと言われる白い花を摘んできて、手渡したその日に。
 魔法の言葉が空間の向こうに消えると同時に、アーニアが、崩折れた。夢が終り、現実がとってかわる。ガイルダは走り寄り、彼女を抱きとめる。彼女の体は羽のように軽く、血の気を失った肌は象牙のように白い。ドクン。ガイルダの心臓が高鳴る。彼も、商売女を抱いたことがないわけではない。そのときには何も感じなかった感情が、沸き上がるのを感じる。抱き締める膚の冷たさを、ガイルダは白磁のようだ、と感じた。
 アーニアの瞬き。彼女は暖かい腕に自分が抱きとめられているのを感じていた。霞む視界に見える兄の姿に、ガイルダの姿が重なる。
「兄さん…?」
 呟きが泡のように生まれ、消えた。
 感情と言うものを感じさせないようにヴィーンの声が二人の上に降ってきた。
「人の子には過ぎた夢を見たようだな」
 アーニアの冷たい肌を抱き締めたまま、ガイルダが答える。
「彼女を休ませないと。どこかいい場所はないか?」
 イルネスが廃屋の一つを指差す。比較的しっかりした建物が残っており、問題なく夜が越せそうである。ただ一軒だけ石造りの建物の中に彼女を運び込むと、テントを毛布替わりに彼女を寝かせ、暖める。
「大丈夫、生命に別条はない」
 そういうと、ヴィーンはさっさと寝んでしまった。きっと彼も疲れていたのだろう。決して言葉にはしなかったけれど。イルネスもガイルダに促されて寝むことにした。彼女を見守るのは一人で十分だ。

黄の黒剣
望め! さすれば、混沌は形を得て、そこに生じる。


 アーニアの肌にはいつしか赤みがさしてきた。熟睡するアーニアの身体を見つめていたガイルダは、おずおずとした態度で彼女に触れた。暖かい。アーニアの手を握り締めたガイルダは待った。彼女が目を覚ますのを。天窓からは月の光が注ぎ、彼女を照らし出している。後の二人は部屋の陰で、すやすやと寝息を立てている。今、目覚めているのは、ガイルダ一人。
 アーニアが、小さく呻き声を上げた。ガイルダは彼女を抱き上げる。
「お兄……ちゃん?」
 小声で、呼び掛けるアーニア。畳み掛けるように、止まること無く言葉が零れる。
「ねぇ、お兄ちゃん。私のこと、忘れちゃったの? あの白い花を、忘れてしまったの?いつか帰ってくる、そう約束したよね」
 ガイルダは、暫く悩んで、一言言った。
「僕には、妹はいない」
「でも、あなた、兄さんの匂いがする。探し求めていた、感触がする。私が探し求めていた、何かを持っている」
 ガタン、という音がした。部屋の隅にあったドアが、突然開いたのだ。二人を招くかのように。
「怖い…」
 アーニアの唇から声が零れる。ドアの向こうは、地下室への階段。
「もう遅い。ゆっくり休もう。明日、ヴィーンたちが起きてからだ」
 ガイルダは、彼女からそっと離れると自分の毛布を取り出した。ドアを閉め、寄り掛かる。
「こうしておけば、安心だろ?」

緑の青龍
汝らはわが餌。
ただ、それだけの存在に過ぎないのだ。


『食らわれる』
 アーニアの夢は切ないほどに甘かった。食らわれること、それ自体が陶酔の源。己のものであるはずの魂が、何者かに掴まれ、食らわれる。
 赤黒い、血の色のローブの男の手が、十字の形にいましめられた彼女へと伸びる。少女の姿。でも、それはアーニアなのだ。胸から流れ落ちる血潮。足元には、滴り落ちる血で描かれた魔法陣。
 心臓に、手刀がつき入れられ、引きずりだされる。
 痛みは、無い。なぜならすでにそれは破けていたから。切り裂かれた残骸にすぎなかったから。心臓を残した身体が石になる。砕けて、魔法陣の周りを覆う。白く晒された石は白骨に似ている。破けた心臓が形を取り戻し、血液ではない何かを駆動する。掴まれているのは、アーニア自身。
 次にアーニアが意識を取り戻したのは、どこかの暗い地下室。
 魔法陣の中心に横たえられているのは『女』の肉体。均整の取れた肉体の胸は切り裂かれ、心臓が取り出されている。ローブの男は、アーニアの心臓を胸郭に納めた。動く心臓。切り裂かれた胸は何かに貫かれたかのような傷跡だけを残し、瞬時に治癒していく。
『さあ、行け。己の欲するままに舞え。運命を求めよ。約束の時を待っているぞ』
 強迫観念。彼女は、何かのために用意された道具なのだ。舞い続けることは、終末への道程にすぎないのだ。『約束の時』、それは彼女も知らない何か。だが、少なくとも彼女の村、彼女の家族はこのために滅ぼされたのだ。
 幼い頃の記憶、思い出が消されていく。強迫観念。踊ることが思い出にとって変わる。彼女は舞姫アーニア。夢を運ぶ舞姫。踊ることこそ彼女の全存在。

青の青龍
夢さえも死をもたらす。
狂気こそ究極の平和のあかし。


 翌朝、4人が地下へ降りてみると、封印された石造りのドアがあった。
「翼人の、紋章だな」
 ヴィーンが言う。
「死したるものには、等しく終りが与えられねばならぬ。強大な魔法の力が、この村の人々が深みに帰ることを妨げていたのだろう」
 紋章を見つめていた、アーニアの瞳が焦点を失っていく。
「どうした! アーニア!」
 異変に気付いたのはイルネスだった。大の男3人が、彼女の腕の一振りで階段のほうに飛ばされる。
「アーニア!」
 ガイルダの声も空しく響く。
『我が娘よ』
 アーニアの脳裏には、あの、ローブの男の声が響いていた。
『今こそ、約束の時だ』
 蘇る記憶。この村は、アーニア自身が生まれ、殺された村。そしてこの向こうに、私が生み出された場所、行くべき場所、一人で行かねばならぬ場所があるのだ。
 強迫観念。神聖なる場所、彼女以外に入ることは許してはいけない場所。彼等をどうする? 永遠の夢に閉じ込めてしまおう。あのひとが与えてくれた力で。
 振り向くアーニア。左の瞳、あらゆる光を宿した瞳。その瞳から、爆発的な力が迸り、3人を包み込む。狂気という夢が、3人の精神を浸蝕し、変質させる。
 ガイルダの全身は仲間の、血と脳漿にまみれている。ところどころ潰れた肉体を持つ兵士たちが、ガイルダに襲いかかる。すべて、生死を共にした傭兵仲間だ。剣を振り上げ、呪詛の言葉を吐き散らしながらガイルダに向かって襲いかかる。切り伏せる。返り血が彼の全身を染める。
 イルネスは、親友と再会していた。こときれた息子を抱いた親友から吐き出される呪詛の言葉。こときれたはずの少年の目が開く。
『痛かったよ…苦しかったよ…おじさん』
 イルネスの足元には、熊挾み。血の滴る鉄の塊が、生き物のように動き、彼に食らいつく。無数の熊挾み。声にならない絶叫が、迸る。
 ヴィーンの視界は、ただ、白かった。空白(ブランク)。それが彼。己の運命を持たず、人の運命に導きを与える。それこそが彼。
「節度ある終わりを、もたらすは我」
 ヴィーンの声が、空白(ブランク)の中に秩序を生み出す。黒の剣に生み出された命は、通い火に導かれ、翼人の手に委ねられる。大いなる生命の輪廻(ロンド)。
「これ以上の歪みは夢の妨げ」
「彼女が愛をそそがれる存在となったとき、おまえの企みはついえたのだ」
「すべての狂気は夢への入り口」
「導かせてもらうぞ。すべての終りと始まりのために」
 空白が、二人の夢を映しだす。ヴィーンの振り上げられた両手に、悪夢の種が吸い込まれていく。悪夢の集合体をいとおしむようにヴィーンが撫でると、悪夢は燐光を放って消滅した。現れたのは呆然とする二人、開かれた扉。
「夢は覚めた。大いなる夢が待つところに行くとしよう」
 ヴィーンに促され、3人は扉をくぐった。

赤の翼人
そのうたかたの鎖を断ち切ろう。
今や、汝は自由となった。


 白い、白く晒された石が、3人の足に触れる。魔法陣の中心に佇むアーニアの姿。
「私は、ここで生まれて、殺されたの」
 淡々と言葉を繋ぐアーニア。
「殺され、新しい体を得て戻ってきた。約束の時、私は封印を解く鍵。私の存在で、すべては始まる」
 膝を落としたアーニアの胸から、血飛沫が吹き上がった。
「呪われたる存在である私。このために存在したの。私」
 魔法陣が、燐光を放つ。
「おまえは呪われた存在なんかじゃない! 俺には、おまえが必要なんだ!」
 ガイルダが叫ぶ。燐光を放つ魔法陣に足を踏み込んだ途端、彼の身体を電撃が走り抜けた。構わず、アーニアを抱き締める。
「おまえの存在は呪われてなんかいない。俺と、出会うためにおまえは生まれてきたんだ。俺のこと、兄さんの匂いがする、そういってくれたよな。望むなら、何時までも一緒にいよう。おまえは俺の『運命の人』なんだから」
 吹き付ける血潮を無視するかのように、ガイルダはアーニアの頤を掴み、自分のほうに向け、荒々しく口づけをした。
「俺にはこんなことしかできないけど、愛してしまったんだ。アーニア、君を」
 空中を、星が舞う。赤い血飛沫はいつしか消えて、二人の体を星が包み込んでいた。
「私、許されたの…? ここにいてもいいの? あなたといてもいいの?」
「ああ。君は、呪われた存在なんかじゃない。僕の女神なんだ。永遠の」
 抱き締め合う二人の耳に、声なき声が届く。
『扉を開くためには』
『更なる狂気を扉に』


白の翼人
死は正しき終り。
終わりなくば、節度もまたなし。


 白い、花があった。
 花弁が、赤く染まった。
 散った花が、地面に吸い込まれると、地面が震えた。
 白き小石が、一つ所に集まり、人の形を作り出す。あどけない少年から、石像は成長して青年となり、石の鎧を纏う。
「兄さん!」
 アーニアの声は震えていた。
 イルネスが、剣を抜き放って斬りかかる。剣は石に弾かれた。
「もたらさるるべきは正しき終り」
 ヴィーンの瞳に決意の色が浮かぶ。
『****、僕の天使、もう一度僕の胸に戻っておいで。もう一度僕の腕の中で悦びの声をあげておくれ』
 ガイルダも、向き直って剣を構える。アーニアは、恐怖に震えていた。自分の意思で封じ込めていた最後の記憶。兄は、戦場に出る前日にその稚い欲望で、アーニアの肉体を奪ったのだ。そして、再び、求められている。
「やっぱり、私は呪われているというのですか…」
「それは違う」
 ヴィーンの慈愛に満ちた声。
「本当に、呪われた存在と言うのは死すことも、生きることもできない存在を言うのだよ」
 ゴーレムの腕がアーニアに向けて伸びる。ガイルダは、渾身の力を込めてゴーレムの腕に斬りつけた。
「死は正しき終りだが、決してそれのみが終りではない。生きる、という選択肢もあるのではないか? 愛される存在よ」
 ゴーレムの腕を受け止めたガイルダが衝撃でよろける。そのまま彼を横殴りにしようとする腕の軌道にアーニアは割り込むと、短剣を突き立てた。
「例えあなたが兄さんでも、ガイルダを翼人の御手にゆだねるわけにはいかないの」
 ギリギリと、短剣と石が軋んで嫌な音を立てる。
「例えおまえがアーニアの兄だとしても、おまえにアーニアは渡せない!」
 ガイルダの叫び。イルネスも叫ぶ。
「幸せを、奪う存在は許すわけにはいかない!」
 ヴィーンが言葉を継ぐ。
「見よ、いまこそ歪みし企みがついえし時」
 ガイルダとイルネスが同時に振り上げた剣が、ゴーレムの脳天に突き刺さった。石の塊が、二つに割れる。中からは、肌色の固まり。少年の姿。
「これは…」
 だれからともなく、声が漏れる。
「地上に戻るとしよう。まだ、すべてが終わったわけではない」
 ヴィーンはそっと少年を抱き上げた。

赤の指輪
待ちたる時は来た。
今宵こそは故郷に戻るとしよう。


 ヴィーンは、手持ちの布を器用に少年に巻き付けた。まるでローブのように。
「彼に必要なのは正しき終り」
 ヴィーンは、3人に向かって宣言するように言い放った。
「行きましょう。私たち、ここにいてはいけないのよ」
 アーニアはそう言うと、ヴィーンに向かって貴族式の最敬礼をした。そして、踵を返して歩き出す。村の、外へと。ガイルダ達も慌てて追いかける。十分に距離が開いた頃、ヴィーンは少年をそっと地面に下ろすと、優しく微笑み掛けた。
 言葉が、零れる。異界の、言葉。言葉に応え、深淵が彼を中心に口を開ける。言葉の波は、村中を覆い、地面には、小波が立つ。地面は、透き通り、家々を飲み込んでいく。中心には、歌いながら少年を抱き上げるヴィーンの姿。その顔は、どこまでも深い慈愛を湛えて微笑んでいた…。
「ヴィーンは?」
 すべてが終り、荒れ地だけが残ったそこで、イルネスが問い掛けた。
「彼は、帰ったの。己を生み出した場所に。また、生み出される時を待って」
 アーニアが、ガイルダの胸にもたれかかりながら言った。一筋の、涙。
 吹き抜ける風が、3人を包む。イルネスは弱々と微笑むと、恋人達に問い掛けた。
「これからどうする?」
「彼女が元いた、旅芸人の一座に戻るよ」
「踊りながらさすらって、どこか、落ち着ける街を見付けたら、そこで子供を生むわ。男の子だったら、ジーンって、名付けるの」
「ジーンって?」
 イルネスは聞き返す。
「私の、兄さんの名前。私の子供は、きっと生まれ変わった兄さんだと、信じているから……」
 爽やかな風が、辺りを吹き抜ける。すべてが終り、新たな運命が彼等をどう導くのかは、だれも判らない。

黄の通火
見よ。
光と闇の双方があって、初めて意味があるのだ。


 深淵、それは内海にも似た、ざわめく波の世界。一つ一つの波は、一つ一つの思い。たゆたう、たゆたう、ヴィーンと少年の姿。
 広がる世界が、ざわめいた。白く尾を引く、翼人の翼。救いを求める思い達が、腕を伸ばす。翼は、一直線にヴィーンたちの元に翔んできた。
「さあ、行きなさい」
 翼人の翼が、常世へと少年の魂を運び去る。ヴィーンの一つの生は、こうして終りを告げた。
「下界はどうだったね? 我が息子よ」
 中空に浮かび上がったのは、赤黒い、ローブの男。闇と血を啜る、何者か。
「また、沢山の事を忘れて参りました。我が主人(マスター)よ」
「ならば、私もまだもう少し、この波の上で休むとしようか。おまえが白く晒されて、私を導く通火となるそのときまで」
 深淵は、すべてを飲み込む沈黙をもって彼等に応えた。彼等もまた、永遠の闇の中に帰っていった……。

語り残さん。
これらすべてが夢で終わらぬために。


 ※これは、私(stealth)が97年にあるコンベンションでマスターをした時、そのプレイ結果を元に、その時踊り子のプレイヤーだった女性が脚色したものです。このまま埋もれさせておくには勿体ないので、この場で公開させて戴きます。2年程音沙汰を聞きませんが、お元気でしょうか?

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夢の終わり