白の風虎

我は忘れぬ。
我は諦めぬ。
我は追いつめる。


ダリンゴースの首都フィレア。
大通りから一歩入った小道に、その酒場はあった。
酒場の名前は『通い路の灯亭』といった。
この酒場、正面の入り口には扉がない。
よほどのことがない限り、酒場の主人は客を追い返すことがない。そして、ひとりでも客がいる限り、光の時間はもちろん、闇の時間とそれの境目であっても、店が閉まることがないのでも知られている。

『通い路の灯亭』に、ひとりの男が入ってきた。
客が入ったというのに、中にいる人達はほとんど見向きもしない。
普通なら、扉の開く音で何人かが入り口を向くのだろうが、扉のない酒場ではそういうことはない。
見向きもしないのは男も一緒だった。
空いているカウンターに座り、奥で皿を洗っていた若者を呼ぶ。
「黒ビールのジョッキと、豚の胡椒焼きだ」
その注文は、どこか鼻を抜けていたようなものだった。
しばらくの後、注文したものが男の前に用意された。
あふれんばかりに泡の経った黒ビールに、軽く口を付ける男。
「………」
声は、近くにいた老若男女には届かなかった。
「…なぁ、兄ちゃん」
カウンターの隅で微かな呼び声を聞いた若者が、男の前にやってきた。
「注文ですか?」
「兄ちゃん…お前さぁ、このフィレアにいる『風歌ロビン』って奴を知らねぇか」
注文ではなく、人を尋ねられた若い給仕は、少し困惑した表情だった。どうやら、ここで働き出してまだ日が浅いらしい。
「ロビン…知りませんね。大体、どのロビンさんかも分かりませんし」
「ここにはロビンって奴ぁ多いのか?」
「多いも何も、フィレアには毎日多くの人がやってくるんですから。ここに一体、何人のロビンさんがいると…」
あきれ顔の若い給仕の言葉が止まった。しまった、とした表情だった。
「す、すみません。こういうことは言わないのが」
「この酒場の暗黙の約束、だったよな。そして、破ったらこうだったか?」
男は顔一つ変えず、手にしていたジョッキの中身を給仕に投げかけた。
ばしゃ。
じゅわー。
酒まみれになった給仕の姿は、店の中の客全員を苦笑させる事ができた。若い給仕はそそくさと奥に消えた。
代わりにやってきたのは、この店の主ゴッタルトだ。大きな太鼓腹にでっかい顎鬚をたくわえ、それでいて豪放磊落な性格は、「笑う酒樽」の異名そのものの風貌と言える。
「いらっしゃい!若いのが失礼したな。ほら、代わりだ」
男の前に、代わりの黒ビールが置かれた。
「で、どうだ?お前のセガレは見つかったか?」
「まだ見つからない。ここに1週間いたが、もうここを出た後らしい」
「そうかぁ、また後追いになっちまったか」
「だが、あいつがここに来たって話は残っていた」
「なぁら、いいんじゃねぇか?手掛かりがあるって事は、そこからまた探す楽しみがあるってもんよ。そうだろ?」
ゴッタルトの豪快な言葉に、男は表情が少し和らいでいた。
「そうだな。ここにきて一週間、マスターにどれだけ勇気づけられた事か…」
ゴッタルトはガハハと、店の外にも響く、いつもの笑い声で答えた。
「なぁに、それがこの『通い路の灯亭』の掟さ。ここに入って、暗い顔のまま出て行く奴は俺が許しゃしねえ!」

カウンターでマスターと談笑している中年の男に、学者風の女が声をかけてきた。
「お隣りよろしいかしら」
「俺の隣でいいのか?」
女は、返事を聞くまでもなく、隣のいすに座った。
マスターは、女に黒ビールのジョッキを出すと、その場を離れた。
「この姉ちゃんの話は面白いぜ。俺じゃ太刀打ちできないくらいにな!」

「お子さんをお探しなのですか?」
長い髪をうなじでまとめた女は、男のそばで、語りかけるように問うた。
「あぁ。もう探して3年になる」
男はカウンターの奥−あるいはその遥か先に見えるものか?−をじっと見ていた。
「俺の倅は3年前、『詩人になる』といって村を出て行った。小さい頃、村の娯楽の為に呼んだ吟遊詩人にあこがれていた、と言っていたな」
「夢のあるお話ですわね。その詩人さん、よほど人の心を掴むのがうまかったのでしょう」
「人の話を聞くのがうまいんだな、嬢さん」
嬢さん、と呼ばれたのは少し嬉しかったらしい。女の顔は男の耳に近付いていった。
酒場にいた他の男達は、またか、というような表情だった。だが、嫌気一つなかった。これもこの酒場の名物だった。
「それもこの酒場の掟ですのよ」
軽くウインクしていたか。男には見えていない。
「立派な詩人になるのには長い時間がかかると言われていますわ。伝承を集め、言葉を紡ぎ、音を付け、抑揚を付け、そして何より、人々を感動させる『心』を持たないといけませんね」
「倅が立派な詩人になるのに、あと何年必要なんだろうな」
「さぁ…それは本人にも分からないのかも知れません。人の心を動かす詩人になるのに、時間は無限なのかもしれません」
男はしばらく黙り込んでいた。
伝承を求めて各地を放浪する吟遊詩人が、自分の故郷に戻ってくる事はほとんどない、とも言われていたからだ。
その多くは、自らの目的を果たせずに、道半ばにして倒れていくともいう。
「ところで、あなたはなぜ息子さんをお探しなのですか?もしよろしければ、お聞かせ願いません事?」
「あいつに、縁談を持ってきたんだ」
「それは素晴らしい事ですわね。是非ともこのフィレアで再開できればよかったのに」
男は空になったジョッキを置いた。
隣の女が合図をすると、すぐに替えが運ばれてきた。
「…本当は、俺は倅に土地を継いでもらいたかったんだ。嫁をもらって、子供が生まれれば、放浪の詩人なんてみっともないマネはできないだろう。そうすれば、代々の土地はあいつが守ってくれる。そう思っていた」
女は、男の前にある、豚の胡椒焼きをつまみながら、慰めとも励ましともとれない言葉で応えている。
「家を預かるお父様なら、息子の事を考えるのは当たり前の事ですわ。安定と安寧…家の主が求める第1義です。是非とも息子さんが、あなたの元に戻ってきて、平穏な暮らしをされる事を、私も願っていますわ」
自分に賛同してくれる声は、男の顔を少し明るくさせた。
「ありがとう。私も、明日にはあいつを追ってメジナに向かうとするか」
「家にいて、放浪しなくとも、立派に歌を作る人はいっぱいいらっしゃいますわ」

我は忘れぬ。
我は諦めぬ。
我は追いつめる。



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夢の終わり