黄の古鏡

水清く、透明なれば、
魚は漁師に獲られる。


 魔道師学院の中には、12と一つの星座と同じ数の塔が並んでいる。
 それぞれの塔は、各星座の伝承を始め、魔法や魔族を研究していた。
 その中にあって、無垢と反転を司る『古鏡の塔』は、学院にとって一際重要な役目を果たしていた。
 古鏡座に属する魔道師達は、『鏡の舞姫』『密使』などの異名を持つ。それらは、 彼女ら(あるいは彼ら)の『鏡を通り抜ける』能力によるものから来ている。そして、その能力を生かし、各地の情報を集め、また魔道師学院の意向を伝える任務を担っていた。
 古鏡の塔の最上階には、『鏡面転移』に用いる、巨大な鏡が立てられていた。普通の人の子が2人は楽に入りそうな大きな鏡は、一点の曇りもない鈍い輝きを放っている。金と銀の縁取りにはいくつもの宝珠が埋め込まれ、『無垢』『輝き』『反転』の象徴とされる古鏡座の紋章も幾多に彫られていた。
 そして、部屋全体に、丁度鏡が中央に来るように、幾重もの魔方陣が書き込まれている。この鏡から密使が飛び立つ時には、さらに最大13人の古鏡座の魔道師が支援するようになっていた。

* * *

 鏡の間には、3人の魔道師が立っていた。予知と聡明を司る通火座の幻視により、密使が帰って来る事を見計らって準備している。
 最初の一人は、古鏡座の長を務めるローリアンであった。
 次の一人は、破魔の力を持つ戦車座の長、ザロニアであった。
 最後の一人は、成長と創造を司る黒剣座の長、ゼルであった。
 最初の一人は、これから帰って来る密使の労を労う為。
 次の一人は、舞姫の追っ手を仕留める為。
 そして、最後の一人は、舞姫が持ち帰るはずの情報を一刻も早く手に入れる為であった。
 「そろそろね」
 ローリアンは弟子の帰還を心待ちにしていた。鏡を通じて目的地に飛ぶという行為は、魔力渦巻く深淵の小道を通う事に他ならない。それは非常に危険な行為であり、目的の鏡に着く前に、魔族に喰われてしまう事も少なくない。
 「私の矢が無駄であれば良いが」
 ザロニアの手には、黄金に輝く破魔矢が握られていた。特に強力な魔族を打ち破る為に使われるものであり、強靭な精神を持たなければ触れる事すらできないという。 「何、今回は断片だ。心配はいらぬ」
 ゼルが支配する黒剣座の塔では、北方の地に巣くう黒魔の研究が進んでいた。毎年襲いかかってくる怪物の実態を突き止めるのが密使の目的だった。
 鏡の周囲を覆う宝玉が輝き始める。そして徐々に、点滅が進んでいく。
 半座のザロニアはゆっくり大弓を引いた。
 魔方陣の中央で、高い金属音とともに魔鏡が輝く。
 そして、柔らかに波打つ鏡面の中から、美しい女性が滑らかな姿勢で抜け出てきた。

 はずだった。

 鏡の中から出てきたのは、女ではなく男だった。
 ローリアンも、ザロニアも、ゼルも、目を丸くしていた。
 町汚れした格好の男は、鏡の前で一瞬崩れおちた。
 「貴様、何者だ!」
 最初に声を挙げたのはゼルだった。自らの象徴でもある黒い大剣を、男の顔に突き出している。
 ローリアンもザロニアも、ゼルを止めようとはしなかった。
 「なぜこの鏡から出てきたのだ!答えよ」
 男は黒い刃先に目もくれず、ゴホッゴホッと大きく咳払いをした後、ゆっくりと立ち上がった。
 「頼まれたのさ」
 「誰からなの?」
 「名前は知らないが、銀の瞳を持った女だ。こいつをゼルに渡してくれ、とよ」
 男は突き付けられたままの剣をやすやすと払いのけ、その持ち主に、古鏡と黒剣の紋章で封じられた書状を渡した。
 ゼルは、礼も言わずにかっぱらい、そのまま塔を後にした。
 「…それから、これはあんたにだ」
 ローリアンに渡されたのは、古鏡座の魔道師なら誰でも持っている、愛用の首飾りだった。それは間違いなく、今日、本来帰還するはずの女のものだった。
 古鏡座の長は絶句した。古鏡座の魔道師が首飾りを外すということは、既に命がないということを意味していた。
 「リーム…リームに何があったの?」
 男は顔を下げた。
 「そうか…。あのお嬢さんはリームと言ったのか。急いでいたらしくてな。『私は何者かに追われている。だから、この書状と首飾りを持って、鏡の中に飛んで!』ってさ。俺はもう何が何だか分からないが、とにかくお嬢さんの言うとおりにした。そしたらここに来たって訳だ」
 ローリアンは古鏡座の魔道師の重要性を最も良く知っている。同時に、存在の危険さも。
 「それで、リームはどうしたの?」
 ローリアンが男に尋ねようとしている時に、もう一度鏡が輝き始めた。
 男はローリアンは急ぎ鏡から離れた。
 鏡から頭を出してきたのは、長い黒髪に黒い顔をした女性…の上半身だった。
 「はっ!」
 ザロニアの放った黄金の破魔矢は、その頭を過たず貫いた。
 矢傷から黄金の炎が燃え上がる。と同時に、周囲に甘い香りが微かに立ち込める。
 黒い体は、その全身を鏡から出すことなく、絶叫とともに鏡の中に消えていった。

   そして、辺りに静寂が戻った。
 「青年、黒剣の塔にてしばしの静養の後、山を降りるが良い。そして、他言無用にな」
 「もちろんだ。それが俺のプライドだからな」

* * *

 『鏡を舞う伝書使』の説話が、吟遊詩人の間で歌となるのには、まだかなりの時間を必要とした。
 純真な令嬢の代わりに、魔法の小道で手紙を届ける青年との叙事詩が歌われているという。

水清く、透明なれば、
魚は漁師に獲られる。



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夢の終わり