黄の牧人

信じて待つべし。
いずれ継ぐべき者がここに来る。


 「継承者」は非常に重要な存在である。いかなる有名な伝統であっても、継承がいない為に途絶えてしまった例には事欠かない。特に最近、工業系の技術者育成が声高に叫ばれている。情報関連ばかりに人気が集中し、機械関係を志す若者が少なくなっているというのだ。工業高校の人気も、前にも増して下がっていると聞く。花形を目指すばかりに、必要なものが育たなくなると、真に必要な時には手に入らなくなっている。失われたものを取り戻すのは非常な困難なのだ。
 そこで、何らかの形にして、今までに築き上げられた物を継ぎ残そうとする。何を残すのか?伝承か?技術か?はたまた知識か?どのようにして継承するのか?書物?伝承?歌?あるいは、その体で?
 継承してどうしようというのか?後生に伝える為?自分ができなかったことを、次の世代に達成してもらう為か?それとも…。
 継承者を育成することは、並大抵のことではない。まずは、継承するに足る資質を備えた若者を選ばなければならない。基礎中の基礎から教え、少しずつ上位のことを叩き込んでいく。そして最終的には、継ぐべき者独自の物を作り出さなければならない。教えられた物に忠実なだけでは、進歩は有り得ない。新しい技術、新しい解釈、新しい演出が加わってこそ、継がれる物はより豊かになり、本来継承されるべき物も輝きを増すというものだ。
 だが、継承は、時として本質に変容を生じる。オリジナルがオリジナルのまま残され、今に伝わる例はそう多くない。起源が一つの伝承でも、語り手が代替わりし、空に別の語り手が伝えることによって、多くの異説が誕生する。そして中には、本来形を全く留めない形までに変えてしまうことすらある。
 それでも、継ぐ者を待っている者は存在する。来る者に伝えても、それが完全な形で残る保証など、何処にもありはしないというのに。
 人の子が他の動物と大きく違うのは、「信じる」という『思い』があるということだ。たとえどのような状況になろうとも、「信じる」という心を捨て去らない限り、人の子は前を向いて進むことができる。自分が伝えようとしていることが、「継ぐ者」の心を打つことを信じているのか?「継ぐ者」が、自分のことを100%完全な形で残してくれることを信じているのか?「継ぐ者」が、自分の伝える者を完膚なき迄に破壊し、そして完全に新しいものを作ってくれることを信じようとするのか?
 森の年輪がいかなる時を刻もうとも、伝えようとする者、残そうとする者は、そこに待っている。新たな継承者が来ることをかたくなに信じて。

* * *
魔術師の館は、完全に破壊されていた。
その魔術師は、生きた者を生きたまま改造し、新たな魔獣を作り出そうとする『獣師』であった為に、翼人座の魔道師に処断された。
もちろん、作った魔獣も、保存されていた材料も、腐臭を放ちながら焼かれた。
痕跡は全て消去された。

はずだった。

瓦礫の中から、黒とも赤ともつかぬ、軟体の触手…いや、蛸の足が這い出ていた。
「あつかったよぉ」
8本の足の上に付いていたもの。それは、紛れもなく処断されたはずの、『獣師』の頭部そのもの。
魔獣作成の技法が消失することを恐れた彼は、他の獣師の力を借り、自らの頭のバックアップを作成し、人面蛸として屋敷の床下に封印していたのだ。
人面蛸を作成する過程で、知性は封印されたが、記憶はしっかりと保存されている。
事情を知らない獣師の人面蛸。
「だれかいないの〜?」
声を上げても、誰も答えない。翼人座の処断以来、この屋敷には誰一人として近付かない。
「………ねむいや…」
大きくあくびをして、人面蛸は瓦礫の下の蛸壺に戻っていった。
次にここを訪れるものが来るまで。

いや、次にここを訪れたものは… 
信じて待つべし。
いずれ継ぐべき者がここに来る。



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夢の終わり