緑の原蛇

我をあがめよ。
願望を形にするのだ。
抑えてはならない。


 「我」とは何か。一人称か。二人称か。三人称か。
 一人称ならば、「自分」を崇めるということになる。自信過剰、自己顕示、欲求不満、…など、俗にいう「思い込み」の強さが、自分を信仰するということにつながるかもしれない。
 二人称ならば、「あなた」「わたし」に向けられている。ただし、この二人称は、一人であっても使うことができる。『現実に存在しないもう一つの自分』から、『現在の自分』に向けて。あるいは、その逆。
 三人称。最も多く使われる「我」。「自分」でもなく、「あなた」「わたし」でもない、別の誰か。人ではないかも知れない。現実には存在しないかもしれない。むしろ、その方が神秘性が高まるというものか。

   「我の願望」とは何か。
 『崇める』=『信じる』と仮定するのならば、「自分を信じる」「あなたを信じる」「誰かを信じる」ということになる。信じるものの願望を具現化させる為には、様々な方法を用いることができよう。我々の現実にも、「誰かの願望」を具現化させるべく、様々な手段を取り得るものたちが存在する。…だが、具現化したとしても、それが多くの人に受け入れられることは、ほとんどと言って良いほど、ない。
 恐れるべきは、誰かの「願望」を複数の人達が共有し、具現化させるべく手段を取り得る時。信仰は強力な武器になる。自分を含む「誰か」を崇めることで、その「誰か」の願望を形にすることができるのならば…。

 では、人の子の「願望」とはいかなるものか?
 人の子の外面的心理、そして内面的心理には、どこかかけ離れたものが存在する。他人に向けられる心と、自分の中に潜む心。外面で何かしら影響を受けると、内面が作用する。例えば、ダイエットの話が出てくると、内面で「やせた自分」と言う願望が表れ、外面で現在の自分のコンプレックスが表れる。結果、「やせたい」と言う願望が表れるのだ。
 双方の心理が互いに作用し合い、または反発し合うことによって、人の子は自分の願望(欲望)をコントロールしている。しかし、時として、そのコントロールが崩れてしまうことすらある。自分の予想を超える外面的インパクトを受けた時。内面の願望が膨れ上がってしまい、外面で抑えきれなくなってしまった時。外面を殻とすれば、内面は混沌の渦である。いずれかにダメージを受けてしまった時。それこそ、自分を抑えていたものを脱ぎ捨て、混沌のなかより生まれいずる願望を実現させる時なのだ。 その時、信じられるものは、自分しかいない…。

* * *

 草原の中に、魔道師が2人、秋風の中を対峙していた。
 一人は、筋骨隆々とした上半身裸、長い髪には燃えるような赤いすじ。さらに、背中には黄金に輝く大弓を背負っている。
 彼こそは戦車座の魔道師。人の子の敵となる魔族と立ち向かう為に、破魔矢をもって邪を払う『破魔の射手』である。
 もう一人は、虹色の長髪を持ち、やせて…というよりやつれ、着衣もぼろぼろになっている男。
 虹色の髪は原蛇座の魔道師の証。魔族や世界の根源を研究し、時として魔界の眷属を深淵より呼び出し、使役させることに時間を捧げる。俗にいう『召喚者』である。『破魔の射手』はじっと目を開かず、両手を下げ、握り拳を下ろし、どっすりと正面に構えている。
『召喚者』は肩で息をしていた。既に膝は半分崩れていた。
 時たまやってくる強風が、『召喚者』のズタボロの服をはためかせている。服の下から、常人にはないものが表れていた。黒い痣。白い爪。肩だけにある獣毛。それは、魔力の証しを示す、魔族の刻印。魔族の使役の為に、体のあちこちに魔力を刻み込んだ彼は、痛々しいほどの姿だった。

  「このとおりだ…射手殿」
「できぬ」
風に消えそうな声で願い出られても、射手は眉一つ動かしていない。
「もはやこの体は魔族に食われる寸前。ならば、魔族の餌となる前に仕留められたいのだ」
「できぬ」
「…共にグラムの門をくぐり、学問の向上を誓い合った、この俺の頼みでもか」
「私の相手は魔族だけだ。いまだ人間、ましてや親友の命を絶つことはできぬのだ。急ぎグラム山に戻り、『戦車の塔』で刻印を封じてもらうが良い。既にその為の使いは呼び寄せてある」
 射手の言葉は嘘ではなかった。二人の周囲には、翼人座・戦車座・牧人座の魔道師たちが、二人の行く末を見守っている。
「…仕方無い。ならば、こちらから行くぞ!」
 召喚者の周囲が、わずかに歪む。両手をピンと張り詰め、使途を召喚する為の言葉を紡いでいく。秋風が彼の周囲で渦を巻いていく。虹色の髪が引き上げられる。ついで、足下の枯れ草も渦に舞い上がる。枯れ草が彼の血と肉を食み、渦に血の色が混じり始めた。
 『破魔の射手』の後ろに控えている魔道師たちは騒ぎ始めていた。無理もない。伝承に残るだけと言われていた「虹の蝶」の召喚を目の当たりにできるのだから。翼人座の魔道師たちは、終末を刈り取る鎌槍を。戦車座の魔道師たちは、邪悪なるものを貫く破魔矢を。そして牧人座の魔道師たちは、封印を大地に編み込む緑の絹糸を用意していた。
 だが、召喚者の正面に立つ『破魔の射手』はじっと動かない。弓も、破魔矢も手に取ろうとはしない。後ろからの「下がられよ!」との声にも動じない。
 召喚者の詠唱が終わる。背中が虹色に光ったかと思うと、多彩の輝きを放つ蝶の羽が現れた。蝶の周りで鱗粉が渦を巻く。秋の短い陽光を浴び、草原の周囲一体が鱗粉で輝いていた。
 ひゅうひゅうと哭く風の中に、ぼきっ、ぼきっと、何かの折れる音がした。召喚者の両足だった。両足が渦に巻き上げられ、そして落ちる。魔力の代償。だが、もう彼に足は必要なかった。
「ギム!さぁ撃て!俺はもう人間じゃない!」
 召喚者は足を失ったが、代わりに蝶の羽を得た。大地の鎖はもう必要ない。
 「虹の蝶」を召喚したどころか、自ら融合したオードは、自らに止めを刺してくれるであろう親友ギムに向かい、背中の多彩の羽で秋空を舞っていく。
 ひゅん、ひゅん、ひゅん。
 戦車座の魔道師が破魔矢を放つ。しかし、3本とも蝶の羽ではじかれてしまう。
 それでもギムは動かない。それどころか、オードを待っているかの様だ。
 オードの足の付け根からは、これでもかとばかりに血が流れている…血、と言うには、余りにも黒くなっていた。
「ギム殿、退避を!」
 後方の叫びとも、恐怖とも取れる忠告にもギムは動じない。既に虹の蝶はギムの目前に迫っていた。ギムの握り拳はより堅く、目からは涙があふれていた。

「ギム!さぁとどめを!」
「許せ、オード!」
 ギムは、もはや人とは呼べない姿になっていたギムに許しを叫ぶと、それまで閉じていた両目をカッと見開いた。
 きぃーん。
 甲高い金属音と共に、ギムの両目から黄金の光線が飛び出し、月の蝶の体を貫いた。
 虹色の羽が急速に輝きを失っていく。
 同時に、『破魔の射手』の両目からは鮮血が流れていた。
 虹の蝶オードは破魔の射手ギムに持たれかかる様に捕まる。双方とも倒れ込んでいった。
 即座に、周囲を魔道師たちが取り囲むが、彼らは近付けないでいた。虹色の羽が出ていたオードの背中からは、波音と共に『深淵』が流れ出していたのである。『深淵』が周囲を包むと、二人の親友は波間に沈みかけていく。

 「…戦車座の『破魔の閃光』か。弱い魔物なら一撃で消滅できる奥義を、わざと急所を外すとはな。ギム、詰めの甘さは相変わらずだ」
 「お前の、初々しい頃の顔を、もう一度見たかったのだ。これで悔いはない。自分を信じ、遂に新種の召喚に成功したのだな、オード…」

* * *

 「『閃光のギム』と『多彩なる腕オード』の対決は、相撃ちに終わりました」
 「して、あれはどうなった?」
 「二人とも、オードから流れでた深淵に沈みましたが、『虹の蝶』の断片は回収されています」
 「…ご苦労。急ぎ記録を編纂し、大書庫『原蛇の門』に登録せよ」
 「承知しました、双面のレト様」

 
我をあがめよ。
願望を形にするのだ。
抑えてはならない。



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夢の終わり