黄の原蛇


(語り部:在胡)

 
希望?夢?
それはいったい何を意味するというのだ?


 夢歩きをうまくするコツというのはいくつかありますが、端的に言えば「プレイヤーを驚かせる」事が出来るかどうかにかかっていると思います。
  驚かせ方には大別して3種類あります。一つはプレイヤーが予測している方向性とはまったく逆の方向性で夢歩きを語ること、二つ目はプレイヤーが予測している方向性をプレイヤーの予測をはるかに超え突き進むこと、三つ目はプレイヤーが予想もしていない方向性から夢歩きを語ることです。

 とりあえず今回は一つ目のやり方の実例について、このカードをもとにして考えて見ましょう。

 このカードをプレイヤーが夢歩きにおいて出してくる状況というのは、おそらくPCが死よりも辛い状況につき落とされてもがき苦しんでいる状況でしょう。そしておそらくそれは正しい解釈です。夢や希望に何の意味がある?=夢や希望など無意味だ!というのがこのカードの言わんとすることなのですから。

 でも、私はあえて言いましょう。この語り部の夢歩きではマスターは”光”を語るべきである、と。
 考えて見てください、このゲームの舞台である妖精代末期において、最も幸せに暮らしている魔族は誰であるのかということを。ルールブックを読み込めばだれでも、「それは蛇妃オラヴィーである」と答えるでしょう。魔族の中で唯一死の神ティオールに愛され、愛する夫と共に幸せに暮らしている。この女性こそ魔族の中で唯一無条件に幸福であると言える存在でしょう(ラダーマイやラージェレもそれなりに幸せそうには見えますけどね)。
 追憶のP42には、蛇妃オラヴィーがブーレイの誘惑に対して先程の語り部の言葉でもって答えた、とあります。もはや希望など捨てた、夢など見失ったと彼女はブーレイに答えたそうです。その彼女が唯一魔族の中で幸福な日々を過ごす存在となっている、このことにこの語り部の神髄があると私は思います。

 だから、この語り部の夢歩きでは、マスターはプレイヤーの予想とは逆に希望を高らかに語るべきなのです。パンドラの箱の中に数多くの災いと共に希望があったのは、たぶん災いと共にしか希望は存在しえないからではないか、なんてことを私は思っています。
 この語り部の夢歩きでマスターはこう示してください、「その絶望の中で見つけた希望こそ、真の希望である」と。
 (具体的には今のオラヴィーのエピソードに関して語るか、以下に示すような抽象的な夢を語れば良いでしょう)

(実例)

こんな夢を見た

吹きあれる風の中
たたきつけるような雨の中
その小さな明かりは光をもたらしていた
絶望のような嵐の中
恐怖のような豪雨の中
今にも消えそうなその小さな明かりは
それでもたしかにそこにあった

あなたは、こんな夢を見た

(注)おそらく絶望を語れる相手がいるというそれだけで、その状況は絶望的ではありえないだろう。真に絶望的な状況とは、その絶望を語る相手すら存在しないような、そんな絶望であろう。誰かに理解されえるような絶望など、真の意味では絶望ではありえない。
 そういう意味では赤札の中の語り部の-偽り-こそ真に絶望を表すにふさわしい語り部だ,と言えるだろう。

希望?夢?
それはいったい何を意味するというのだ?



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