赤の指輪

待ちたる時は来た。
今宵こそは故郷に戻るとしよう。


夏の暑さでむせ返る時。
その時は、村外れの泉に、冷たい水をもたらす精霊がやってくる時だという。

水の精霊は、冷たい北の国からやってきた。
冬の女神がもたらす風は、自由に動けることが信条の、水の精霊達をも、形あるものに変えてしまう。
形のないものであるからこそ自由に動けるものが、「形」という殻に閉じ込められてしまう。
逃げたくても、逃げたくても、冬の女神は逃がしてはくれない。
それどころか、追い討ちをかけるように、もっと冷たい風を容赦なく浴びせてくれる。
だから、自分達ではどうにもできない。
日の光が近くに来るまで、じっと、じっと待っているしかない。
でも、ほんの一握りの仲間は、人の子に開放されることだってある。
雪や氷が、人の手で溶かされて、役に立つこともある。
そうされるのを夢見て、今日も冷たい殻の中で、水の精霊達は閉じこもっている。

  冬の女神が、南の太陽に追われて、山に戻っていく時。
黄金の太陽が、動けなくなっていた水の精霊を、元の形に戻していく。
形あるものから開放された水の精霊は、皆喜び勇んで山を下りていく。
山を降りた水は、あらゆる命を潤し、営みの源となる。
水の精霊達は、いろいろなところで見る事ができる。
精霊が集まれば、川ができ、湖ができる。
最も精霊のいるところ、それは海。
海は生命の源。
いっぱいの水に育まれた生命は、豊かな恵みをもたらしてくれる。
海の表面の精霊達は、太陽の力を借りて空に飛び上がる。
空に浮かぶ雲は、水の精霊がみんなで飛んでいる事のあかし。
雲は、山にぶつかると雨になり、水の精霊達は、また本来の形になって帰ってくる。

村外れの泉。
…いや、泉と呼ぶには余りにも貧弱な水溜まりだった。
ここ数か月にも渡り、雨が降っていなかった。
大地に根をするものは、ほとんどが枯れてしまった。
大地に足をするものも、ほとんどがこの場を去っていった。
むき出しの、ひび割れた大地が、この地の終わりを示そうかのようだった。
だが、そこに、水は帰ってきた。
水溜まりだった泉に、コンコンとわき出て来た清らかな水。
この泉で空に召された水の精霊が、長い年月を経て、地中から戻ってきたのだ。
太陽の力を浴びて空と一つになった夏。
山に阻まれて、本来の姿となって山と一つになった夏。
地中深く眠り、幾多の岩をくぐり抜けた長い時間。
そして、今。
初めて地表に現われる事ができたその泉に、冷たく、磨かれた水は帰ってきた。
水の精霊の前にあったのは、灼熱の荒れ地だった。
でも、もう心配はいらない。
再び、この地に命は返ってくる。

夏の暑さでむせ返る時。
その時、村外れの泉に、冷たい水をもたらす精霊がやってきて、再び恵みを与えてくれる。

待ちたる時は来た。
今宵こそは故郷に戻るとしよう。



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夢の終わり