白の翼人

死は正しき終わり。
終わりなくば、節度もまたなし。


 『陽炎の友』と呼ばれる傭兵がいた。

 北方の戦乱で敗残となり、国に帰ることもかなわず、荒事を職にして土地を漂う。
 北で戦い抜いてきたがため、戦の腕は折り紙付きだった。
 時折、噂を聞き付けた口入れ屋が彼のもとを訪れた。
 だが、傭兵はこう断り続けた。
 「この雇いには応じられぬ。我が友がそう言っているのだ」
 そして、他の荒事師たちには、彼へのいろいろな噂も流れていた。
 奴と戦った相手は恐怖におののいて逃げてしまうだろうと。
 奴の背後に別の戦装束を見たと。
 背後から襲いかかろうとも、動けなくなってしまう…と。
 噂が広まるにつれ、傭兵の周りから、人の距離ができていく。
 それでも、その傭兵は一向に意に介すことはなく、ただ「友」の導きにより果てなき旅路に馬を走らせる。

* * *

 (ハイデス…)
 傭兵の名か。
 (ハイデス…覚えているか?貴様と俺が攪乱戦に向かった時のことだ)
 「もちろんだ」

 4年前のこと。
 牧人の月、闇の青龍の日。
 冬の訪れが近付く森の中に、二人はいた。
 密かに建設されていた敵軍の陣地を威嚇する任務であった。
 「見ろ…」
 街道沿いの森にうまく隠された暗栗色の外壁。
 夜の木立ちが、月明りを遮る。
 門前には薪もなく、壁の上からうっすらと人の気配がするに過ぎぬ。
 「ざっと30人というところか?」
 二人はそれぞれ木立ちに隠れ、火矢を準備する。
 ちん。
 火打ち石で乾燥藁に火を付けていく。
 矢には、矢じりの後に油を満たした布が巻き付けられている。
 「越えられるか?」
 「そうでなければ困る」
 2本並んだ針葉樹の背後で、二人の兵士が顔を合わせた。
 「いくぞ」
 煙が燻る藁に、火矢の布が触れる。
 すぐに油が火を受け入れる。
 「いち…」
 長弓に火矢をつがえ、弦を大きく引く。
 「に…」
 そして、木立ちから弓を放てる分の体を出し、狙いを定める。
 「さんっ!」
 びゅんっ。
 弓弦の響きとともに、2本の矢が、橙色の力を残して飛び去っていく。
 程なく、静寂を保っていた砦の内部が大きくざわめく。
 「やったな!」
 「ずらかるぞ!」
 2人は長弓を捨て、自陣向かって森の中を走り始めた。
 だが、森を走る中で、背後から猛々しい響きが二人を戦慄させた。
 大規模な戦に出たことなら誰でも聞いたことのある、獅子の叫びに対抗し得る音の力。
 「黒鬼か!」
 巨人族の末裔とされる土鬼は、先祖譲りの豪腕で知られる。
 その中にあって、戦闘に特化した黒鬼族は、並の歩兵では到底太刀打ちできぬ、まさに戦鬼であった。
 二人の走る後から、森の静寂をかき消さんばかりの足音が追いかけてくる。
 「奴は夜目も利くのか!」
 「キートリッヒ、二手に分かれ、陣地で会おう!」
 おう、という声とともに、二人は森の奥深くに分かれて走り続けた。
 だが。
 キートリッヒの絶叫がハイデスの耳に届くのに、時間は要しなかった。

 やがて鬼が去り、森が静寂と朝の光を取り戻した時。
 キートリッヒの骸には、黒鬼が投げ付けた大斧…人の子ではとても投げられそうにないものが、背中から奥深くにまで、まざまざと鬼の力を彫り込んでいた。
 「………」
 戦友とはいえ、戦人のあっけない絶命を目の当たりにしたハイデス。
 動かないキートリッヒから大斧を引き抜く。
 そして、右腰にかかっている長剣を、鞘ごと外していく。
 亡き友の剣に手を掛けた時、その柄にはどういう訳か人の温もりがあった。
 (……ハイデス…)

 作戦は成功した。
 だが、ハイデスはその喜びを、部隊の仲間と分かち合う場所にいることはなかった。

* * *

 (ハイデス…我が友よ…覚えているか?)
 あれから、一陣の風とともに聞こえてくる、あの戦友の声。
 (お前なら、きっと俺の願いを適えてくれるはずだ…そうだろう?)
 もちろんだ。
 あの時、黒鬼の斧がお前ではなく、本当は俺の背骨を砕いていたのかもしれない。
 黒鬼の投げた大きな斧が、空を切る音さえも引き裂き、キートリッヒを一撃にして壮絶させた。
 その無念、今でも忘れることはない。
 (そして、おまえが俺の剣で、戦を渡り歩いているのが何とうれしいことか?)
 キートリッヒよ、お前は今どこにいる?
 死者の魂があるという芦原の国ではないのか?
 おまえの剣を手にすると、敵が恐れを成すこともある。
 この白刃を振るっただけで、敵が金縛りにあってしまうこともある。
 キートリッヒよ、おまえは…この剣に何を込めた?
 (ハイデス…貴様の力を借りられれば、俺はまた貴様に会うことができるのだ…)
 おまえは死んだはずではなかったのか?
 (このまま南に…そして、俺の魂を再び肉体に戻してくれるという教団のところへ向かわせてほしい…)

* * *

 「おまえには死霊がいる」
 ハイデスにそういったのは、南のダリンゴースに向かう途中、街道の宿場で出会った男だった。
 この暑い中にあって、全身を白いローブで包んでいる。
 しかも、両目を白い布の遮眼帯で覆っている。
 見るからに異様な光景の男だ。
 「俺にか?」
 ハイデスは戦場で何十何百もの、人の子の命の炎を消してきた男だ。
 誰よりか恨まれても全く不思議ではない。
 (ハイデス、この男は…危険だ)
 ハイデスの脳裏に、キートリッヒの声が響いてくる。
 「ハイデス、この男は…危険だ」
 同時に、ハイデスの耳に、キートリッヒと言葉と全く同じものが入ってきた。
 ハイデスは内心驚愕した。
 「なぜ、キートリッヒの言葉が解かる?そしておまえは何者だ?」
 ハイデスの手が、自然と長剣の柄にかかる。
 だが、白面の男は、それを気にかけるもせず、もっぱらハイデスに付いている死霊にのみ気を向けている。
 「その死霊はキートリッヒというのか?」
 「戦友だ…昔のな」
 剣の柄に触れていた手が離れる。
 その手が、2人の男の杯を満たす。
 (ハイデス…俺の願いを覚えているだろう?)
 ハイデスは少しずつ、少しずつ、口に酒を流し込んでいく。
 (ハイデス…後少しだ…後少しで、俺は貴様と再開できる。だからこの男とは早く離れよう)

 一杯飲む度に、キートリッヒとの思い出を繰り返す。
 配属初日。
 最初の戦闘。
 何度も危機を救い、救われた時。
 どんな時でも語らい、そしてぶつけ合った日々。
 最後の…絶叫。

 残りを一気に口に注いだ傭兵が、意を決したか。
 「白面の方よ…死者の魂が向かうという、『芦原の国』というのは本当にあるのか?」
 白面の魔道師は至って冷静に答えていく。
 「ある。死者の魂は『翼の使い』により、芦原の国に運ばれていく」
 (ハイデス、俺の願いを聞き届けてくれなかったのか!?)
 キートリッヒが盛んにハイデスの脳裏を叩く。
 「おまえはキートリッヒを届けられるのか?」
 魔道師がゆっくりとうなずく。
 「…後はあなた次第」

 月光が夕暮れを追う、宿場の外れにいた。
 白面の魔道師が、木の棒を用いて床に魔方陣を描いていく。
 「これは…」
 「儀式の一種だ。その中心に立って頂く」
 (俺の願いを届けてくれないのか?)
 「ありがとう、キートリッヒ。もう十分だ」
 ハイデスが翼人座の魔方陣の中心に立つ。
 首が上を向き、背後にいるキートリッヒを見るかのような、親友としての優しいまなざしになる。
 「これまで、おまえにはいろいろと世話になった。だが、これからはキートリッヒ、おまえの剣を腕に、己の腕を磨くことにする」
 キートリッヒは戸惑っていた。
 (貴様にとって、俺はもう用なしなのか?)
 「そうではない。貴殿は死霊として、ハイデス殿の助力を十分に努めてこられた。だから、ハイデス殿はその礼として、貴殿に休息を贈ろうというのだ」

 しばしの沈黙。

 (そういうことか。ならばその礼、ありがたく受け取ろう)
 「解ってくれたか。俺もいつかは行く。だからその時まで、しばしの間休んでくれ」
 (ではそうさせてもらおう。だが、できるだけ長く休みたいものだ…)
 白面の魔道師は、魔方陣に向けて手をかざす。
 魔方陣の縁から、中央のハイデスに向かって、ゆっくりと白き魔力がまとわりついていく。
 その魔力が、やがてハイデスの後ろに付いていた、キートリッヒの姿を夕日に映し出した。
 「さらばだ…ハイデス…」

 キートリッヒの腕がハイデスに伸びる。
 二人が手をつないだ瞬間、キートリッヒの霊から純白の翼が現れる。
 キートリッヒは、その翼に導かれるように、天にあるという芦原の国へ向かって溶けていった…。

死は正しき終わり。
終わりなくば、節度もまたなし。



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夢の終わり